生物学研究者の言いたい放題ブログ

とある大学の生物学研究者が書きたいことをひたすら書くブログ

科研費の敗因を探る

あの日から5日が経った。未だにシステムの不具合ではないかと期待している(嘘)一方、ショックも過ぎ去り来年度の科研費のリベンジのことで頭が一杯である。しかし「負けに不思議の負けなし」という野村克也氏の言葉もある。少し前にフミコフミオ氏のブログでも取り上げられていた。つまり負けには何らかの理由があり、その敗因の分析は極めて重要だということだ。ということで自分なりに科研費の敗因を探った。

一番大きかったのはやはり実績不足では無いかということである。

何より前回の科研費を2年計画にしたことが失敗であった。3年以上の計画にすると当然ながら1年あたりの金額は減少する。昨今の厳しい大学の財政状況から、3年以上の計画ではラボのお金がきついかと思って2年計画にした。しかし、この科研費の2年計画は業績を出し次の科研費につなげるには短すぎた。

科研費の申請書の締切が11月頭とすると、科研費の交付が始まってから約1年半で業績を出さなければならない。これは短い。もちろん1年半あればそれなりのデータは出るのだが、問題は申請書の締切までに論文がアクセプトされていないといけないということである。共著はもちろんのこと、自分がコレスポの小さな論文は数報アクセプトされていたものの、本命の論文は2年目の8月に投稿、そしていくつかのリジェクトやきついメジャーリバイスを経て、未だにアクセプトされていない(ようやく直前)。ネタが大きければ大きいほど実質1年半という年月は厳しいのだ。それを見据えることのできなかった私の失敗であろう。

そして今回は前回よりもレベルが1つ上の科研費に挑戦した。研究ネタや過去の実績からいけると思ったのだが、狭き門だったようだ。自分の立ち位置がまだわかっていなかったということだろう。これで挑戦をやめるつもりはないが、挑戦し続けて落ち続けてもジリ貧になってしまう。堅実に業績と研究ネタをためて、またここぞというタイミングで挑戦するつもりだ。

申請書の内容についても多少の反省はあるがそれはここには書けない。

そして、次の科研費の締切まで約半年。既にアクセプト直前の論文2報と、投稿予定3報が手元にある。掲載費のかからない雑誌を選びつつ、10月までにはすべてアクセプトを勝ち取りたいものだ。

以上。

「査読で不正を見破ったときの話」について1

前回、前々回と査読の時に不正を偶然見つけたという体験記を書いた。

査読で不正を見破ったときの話1 - 生物学研究者の言いたい放題ブログ
査読で不正を見破ったときの話2 - 生物学研究者の言いたい放題ブログ

一部の読者である同業者の方や、検索で来た同業者の方と情報というか経験を共有できれば程度に思っていたのだが、予想以上にはてなブックマーク等の反響が大きくてびっくりしている。その中でいただいたコメント等のうち、いくつか気になるものというか、こちらからの意見を書いた方が良いかと思うものがあったので今回はそれらについて淡々と書いていく。

まずは査読で不正を見つけた論文の著者達だが、幸いなことに3報とも日本人ではない。すべて外国人(所属も外国)の論文である。さすがに同じ分野の日本人であれば何らかの形で告発するだろう。

また「査読で不正を見破ったときの話1」の最後に書いた不正論文の著者らの先行論文にもどうやら捏造データがあるということ。これに関しても何らかの形で告発をするべきという意見をいただいた。ごもっともではあるのだが、まだ取り下げていないところを見ると、おそらく著者らは既に言い訳を考えており、抗議をしても無駄に終わるだろう。取り下げていないということは、PIもグルだろうかと邪推してしまう。とりあえず様子見である。

残念なことにこのような不正というのはあくまでも氷山の一角でしかないだろう。今回は極めて杜撰な不正行為だったからこそ偶然見つかった。しかし、仮に写真の使い回しでは無くサンプルをそのまま流用してもう一枚別のゲルを撮影していたら?不自然な数値のグラフではなくそれらしい偽データを用意したグラフだったら?考え出したらキリがない。

「生データ」「実験ノート」も完璧では無い。本気で不正をしようと思えばその時点から徹底して不正を行うだろう。そしてそのような不正は最終的に見つかることはないか、業界内で「再現性が取れない著者」として有名人になる程度だろう。仮に有名人になっても生物学特有の再現性の取りにくさも手伝い、不正とは断定できないところが難しい。実際に私自身も場所が変わっただけでも再現できないようなことを経験したことがある。同じ大学内の別の場所に移ってしばらくは過去の結果が再現できないことがあり、焦った。結局はバッファーのpHが微妙に違った、使っていたプラスミドと大腸菌の株が合わなかったなど些細な違いであった。生物学は本当に難しい。

研究は究極的には信頼のみで成り立っている。おそらく不正をする輩には何を言っても無駄なのだろうが、どうか不正が少しでも無くなることを祈るのみである。

以上。

結構きつい論文掲載費

多くの雑誌では論文が掲載された際に論文掲載費が必要となる。ポスドクまでは論文掲載費を気にしたことが無かったのだが、自前の研究費のみで研究をするようになってからは論文掲載費に対してかなりシビアになった。論文投稿先を考えるときに「論文掲載費」という新たなファクターが誕生したのである。

論文掲載費は雑誌やその出版形態によってまちまちである。無料のところもあれば、Open Accessの一流どころだと60万程度かかるところもある。分野によっても違うのだろうが、私の分野の場合、それなりの格のある雑誌に出せばOpen Accessでなくても10万前後かかることもある。そのため投稿先を決めるときにデータのインパクトだけで無く、論文掲載費についても考慮することが必要になった。

科研費などに採択されているような研究の場合はそれなりに資金があるので、あまり迷うことはない。しかし、それでも論文掲載費という訳のわからない(ことはないのだが)ものに消えるのであれば、実験の試薬などに使いたいというのが本音だ。

一番困るのは科研費などに採択されていないが、地道にその他の研究費で行っているがそこそこのインパクトのある研究である。今まさにもうすぐ原稿を書き上げるその手の論文があるのだが、とうとうこの日が来たかという思いである。それなりのインパクトではあるが、投稿先については熟考せざるを得ない。おそらく格を落としてでも掲載費が無料の雑誌に投稿することになるのであろう。共著者も雑誌のインパクトファクターよりもこの論文の引用数で勝負すれば良いと力強い言葉をかけてくれた。しかし、日本の様々な審査でも引用数などを考慮してくれているのであろうか?という思いもある。

世の中には雑誌の格にこだわり、自腹を切って、つまり自分の給与から10万以上の掲載費を払ったという人もいることを知っている。私は安い給料(ポスドクよりは良いので安いと言ったら怒られるかもしれないが)なので、家族のことを考えるとそれはできない。その程度の思いと言われたらそれまでだが、自腹を切ることが必ずしも賛美されることとは思わない。

オチとしては今年度はあらゆる論文に対して投稿先を熟考せざるを得ないということである。と同時に、現在リバイス中の論文の掲載費は手元にある資金で足りるのだろうか...と不安である。自腹は嫌だ。

以上。

科研費の無念、リベンジに燃える

ネガティブなことは書きたくないので、今日から一年間のリベンジのために記しておく。

タイトルの通り今年度の科研費不採択であった。言い訳は色々あるが、とにかく悔しい。もう既に気持ちは切り替えたので来年度のリベンジに燃えている。

問題は今年度の研究費である。私の場合はこれまでに地道に色々お金を集めたため、使用期限のない寄付金がそこそこある。使用期限がないので貴重ではあるが切り崩さざるを得ない。科研費と比べると額は少ないが、節約すれば何とかこれで今年度は乗り切れるだろう。

それにしてもこの寄付金が無かったらと思うとぞっとする。所属する大学や部局にもよるのだろうが、私の所属する学部から交付される研究費は想像を絶するほど少なく、全く研究にならない。つまり次の科研費が採択されるまでは「研究者としての死」に近い状態となってしまう。弱肉強食の世の中とはいえ、ずいぶん厳しい。実はこれまで公的な研究費を切らしたことが一度も無かったのでこのようなことは考えたことが無かったのだが、今は何らかの制度改革でうまく回らないものかと考えてしまう。

来年度の科研費獲得に向けて必要なのは研究のアイディアや申請書のレベルアップに加えて業績が必要となる。それなりに自信があって応募した今回の科研費も駄目だったという理由の1つが業績かもしれない(これは評価を待つ必要がある)ので、文句のつけようのない業績を出す。お金はないが、死ぬほど頭を使って10月まで(科研費の締め切りまで)にインパクトのある仕事をしなければならない。意外に時間が短いな。

そして科研費だけで無く民間の助成金も狙っていく。とにかく研究費が必要なので、若かりし頃のように申請書マシーンにならざるをえない。今や助成金の公募のポータルサイトも充実しているので手当たり次第応募するしかないだろう。

あとはクラウドファンディングも手を出すべきだろうか...。

以上。

反面教師 in 大学

ようやく年度末を乗り越えて新年度に突入する。年度末は色々あってそわそわするが、今年は比較的平穏な年度末だった。しかし明日は科研費の結果が出る。本当に当たってくれよという思い。

さて、今日はTwitterでも少し書いた大学での反面教師を紹介する。若手〜中堅の教員には似たような経験をされた方が少なからずいると思う。

私は比較的若く見られる方で、大学での格好もラフであるため大学(院)生と間違われることが非常に多い。実際に見た目で判断するのは非常に難しいので間違えられることは全く気にしていないのだが、問題はその間違えて話すときの態度である。ごく一部ではあるのだが、非常に高圧的・攻撃的で、そのうえこちらが教員とわかると手のひらを返し、おそろしいほど丁寧になるのだ。

こちらが丁寧に話しかけているのにもかかわらず、とても横柄な口ぶり。一番ひどかった人はまともに人の話すら聞かない人もいた。教員と言っても聞いておらず、最終的には職員証を見せることになったこともある。そもそも相手が学生であろうと、丁寧に話しかけてくる人に対して丁寧な対応をしないというのはもはや職員として駄目だろう。もちろん「なじみやすい」という意味で敬語を使わない職員もいるが、そのような人々は敬語こそ使わないが穏やかかつ話しぶりは丁寧である。

おかげさまで、私は研究室の学生にたいして、近い関係でない人と話すときは例え年下であっても丁寧に話しなさいと教えている。正直、上記のケースでは怒り狂いそうになったこともあったが、彼らは良い反面教師だと思ってなるべく怒りはためないようにしている。でもブログに書いてしまうと言うことは、少なからず怒りがたまっているのだろうか。

以上。