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生物学研究者の言いたい放題ブログ

とある大学の生物学研究者が書きたいことをひたすら書くブログ

職位を見ないでくれ

大学教員をやるにあたって職位は非常に重要である。正直、教員になるまで職位なんてどうでもいいと思っていた。しかし実際には教授か准教授か助教か、非常に重要になることがある。職位というものは水戸黄門の印籠のような役割を果たすことがあるのだ。

最近、大学レベルでも学部レベルでも「生き残り」に必死であり、私のような若手〜中堅の教員ですら教育や自分の研究だけやっていればよいわけではなくなってきた。行政や企業の人々と打ち合わせ、地方のシーズ、ニーズの分析等々大学や学部によるのだろうが、地方に貢献しなくてはいけないらしい。そして問題となるのが(少なくとも私の所属する部局では)教授レベルの年齢の先生方の多くは大学の改革の波に(意図してか意図せずかはわからないが)ついてきていない。そこで教授レベルの人々がやるべきことが我々の世代に回ってきている。

そのような教授達を説き伏せる方が時間がかかる+面倒、また人生経験としてそういうことをやっておくのも悪くないだろうと、結局私もそのような地方への貢献に関わる仕事をすることになる。だが、ここで冒頭の職位の重要さを実感する。例えば行政の人々と話すとき、誰も私に向かっては話さない。そう、「教授」に向かって話すのだ。明らかに私の専門のことですら、何故か私に直接聞かない。まるで放り込みサッカーの中盤の選手のごとくボールが自分の上を飛び交っているのである。

行政の方々はもしかしたら教授に気を遣っているのかもしれない。しかし、常によくわかっていない教授というワンクッションを置くために話は進まない、いざ仕事になってもワンクッションあり仕事の進みが遅くなると散々である。

小講座制の時代だし、いっそ皆「大学教員」という肩書きでいいんじゃないかな。

搾取と負の連鎖に対する対策が分からない

今日のテーマはタイトルの通り。研究室における搾取と、その搾取の連鎖、さらにはそれらの搾取にどう対策したら良いのか分からないということである。

例えばよく問題になるのは「国費留学生の面倒をみる、借金まみれの日本人大学院生」という構図。国費留学生とはいわゆる日本国が授業料から生活面まで金銭的に援助している外国人留学生である。そして借金まみれの日本人大学院生とは奨学金という名の借金を抱えている大学院生である。

どうであれ、ラボに留学生がいると日本人大学院生が面倒を見なければいけないケースが多い。これがまた結構な負担である。多くの場合、結局は優しい学生、面倒見の良い学生が損をする(時にそのときの人間関係が一生役に立つときもあるが)。困っている人を放っておけない人が損をするのだ。

そしてこのようなケースにおいて、決まってボスは「うまく研究室がまわっている」と思っている。もちろん、意図的に学生を成長させる意味でうまく仕事を振ったり、色々な意味で外国人留学生の世話をした学生に対してフォローしたりする教員もいるのだが、多くの教員がただただ丸投げしてきたのを見てきた。そして一番問題なのは、ラボの実情を知らない人からすれば「そのボスは国費留学生を無事育てた」というボスの実績にすらなるということ。そしてまた新しい外国人留学生がやってくる。

もはや負の連鎖である。

この負の連鎖を断ち切るにはどうしたらよいのか?個人的には外国人留学生の世話をするのをすっぱりと辞めてしまうのが一番だと思っている。その外国人留学生には申し訳ない気持ちが残るかもしれない。日本人は冷たいと思われるかもしれない。しかし、そこで断ち切らないと被害者は増える一方なのだ。

ただ問題は、ここですっぱりと断ち切れない優しい学生さんや、やはり教授の言うことに従わないのは...と従ってしまう学生さんが少なくないことだ。気持ちはわかる。わかるだけに、いったいどうしたらいいのか?答えが見つからない。

人真似の批判はかっこ悪い

どうもラボのボスや立場が上のスタッフの言動をマネして何かを批判する大学院生が多いように感じる。

「○○というジャーナルはクソ」
「○○研っていつも○○ばっかりやってて面白くない」
「○○研って流行りの研究ばかり追いかけてる」

そういう学生さんは、ちょっとわかってる俺(私)カッコイイ、批判できる俺カッコイイ状態になっているのだと思うのだが、はっきり言って超かっこ悪い。そのような話の内容もかっこ悪いのだが、なによりオリジナリティが求められる研究の世界で人真似の批判をするということが超かっこ悪いのだ。

完全に私が今までに出会ったn=10くらいの(多いか少ないかわからない)話になるが、こういう学生に限って学会等で質問すらしない。もっと腕を磨けよと言いたくなる。

このような批判は研究の世界だけではなく、普段の生活でもたまに見られる。やたら何でも知っているような人がいるが、実はこちらの得意分野の話になると、ネットや雑誌に載っている一般論を薄っぺらく話しているだけということに気がつくことがある。これもかっこ悪い。

もちろん導入として一般論や他人の意見から入ることは否定しないが、オリジナリティのある意見や話ができないとつまらないと私は思う。そうなるためには生半可な努力ではなく没頭することが必要になるが、それこそが研究者気質であろう。そのような大学院生が増えることを望む。

剽窃の定義って何だろうか? 2

以前、剽窃と言っていいのかどうかわからない論文の査読が来たということを書いた。

剽窃の定義って何だろうか? - 生物学研究者の言いたい放題ブログ

要約すると、

  • 査読した論文に、スペースが無く、複数の単語がつながっている文章がたくさんあった。
  • ググってみると他人の論文に酷似しているが、微妙に変えている(andで2文をつなげたりしている)という文章がほぼ一段落丸ごとあった。
  • 私はそれが剽窃にあたるのかわからないので、上記のことを書いて、内容はほとんど読まずにEditorにMajor revisionで投げた。

という話である。そしてそれ以来すっかり忘れていたが、先ほどdecisionメールが来た。Editorの判断はreject

もう一人のreviewerのコメントを見てみると、それなりにしっかりと内容まで読んで批評をしていた。読みにくいということは書いてあったが、コピペっぽいことには触れられておらず。しかももうそのreviewerは論文のクオリティでrejectしていた。確かにそのreviewerのコメント通りなら迷うこと無くrejectだろうという感じの内容だった。

結局Editorは何を以てrejectにしたのか不明。剽窃の定義もわからず、すっきりしない。

以上。

学振DCの意義を問う

博士課程に進学する人の憧れ、学振DC。通称学振。これは月に給与が20万ももらえる素敵な制度で、さらに研究費もつくというスペシャルな待遇である。「学振持ち」なんて言葉があるが、学振が無いと収入がゼロになる(RA、TA等を除く)ので、これがあるかないかで博士課程在籍時の暮らしっぷりは変わる。

自分は残念ながら学振DCに採用されることが無かった。当時は負け組であると自覚している。それはそれはつらい生活で、修了後の借金に怯えながら日々戦っていた。ということで恨みを込めて学振DCの批判をしよう。

実は学振DCが何のために存在するのか知らないし調べる気もないのだが、おそらく優秀な研究者になるであろう者が研究に専念できるように金銭を補助するという意図であろう。もしそうであるのならば、学振DCは機能していないケースが多い。

まずはこの20万円という金額。もちろん就職組にはかなわないが、それなりの収入であり、よほど家賃の高いところに住まない限りは金銭的余裕が出てくる。これがよくない。金銭的余裕はストイックな人間以外を駄目にする魔力を持っている。飲みに行ける。服も買える。旅行にも行ける。誘惑だらけである。生活には困らないがギリギリ(多分、都心部でも無い限り一種奨学金の12万ちょいがそのラインになるのだろう)くらいがサポートとしてはちょうど良いのではないかと。そうすることによって、学振DCの恩恵にあずかる学生の「数」を増やすこともできる。学振をもらってダメになった学生を嫌というほど知っている。

【4/24追記】 これは国民健康保険を考慮していなかったので+国民健康保険か。あとは副業(TAやRAなど)を認めるという条件も必要だろう。

そして審査にも疑問が残る。申請書の内容を元にして審査するわけだが、研究内容に関してはよほどのことが無い限りは指導教官に依存するだろう。申請書に指導教官や先輩の意見も入ると、もはや学生の評価には何も役に立たない。業績に関しては論文を書いたことがあるとよいわけだが、これは完全にそれまでに所属した研究室の方針に依存する。インパクトファクター1程度の雑誌でも学生のために論文を何とかしてくれるような教員がいれば博士課程に入る前に1,2報出すのは簡単だろう。あるいは、教員の言われた通りにやっていただけの学生もたくさんいるだろう。ということで、本当に学振DCの意義に見合った審査ができているのかは疑問である。

そして極めつけは大学院での業績である。学振DCの有無によって業績を比較されたことがあるのだろうか?いわゆるモラトリアム的な感じで博士課程に進学した学生を除くと、少なくとも私の周りの学生たちは学振DCの有無と業績の相関は無い。また、学振を取っていてその程度の業績(失礼)なのか...と絶句してしまうような場合もある。それでも学振を取ったことは履歴書やその後の研究費の申請書にも書ける立派な「業績」になるのだ。何かが間違っている。

ということで上記のとおり、学振DCはせめて額を減らして、数を増やすべきだと思う。博士課程の学生に「月20万か借金か」の世界を体験させるのは酷すぎる。少なくとも学費を支払ったうえでさらに「労働力」という点で日本の科学を担っている博士課程の学生さんなのだから。

でも最近、周りの学生さんの学振DC取得率が高すぎてびっくりする。私にも研究費ください。

以上。